掲載日:平成30年10月1日更新
停電の中で
どこまで災害が続くのか。豪雪から始まり渇水・猛暑、豪雨、台風、地震。驚異を感じずにはいられません。
市内にも爪痕を残した台風21号は、典型的な風台風でした。被害が集中した市域の東側では、屋根や外壁の損傷、倒木は数知れず、市の指定文化財で樹齢400年を超えるといわれる大崎の象徴「てんまる杉」も被災。
新市となり最も広範囲となる、停電にも見舞われました。最大時2,400戸。電力会社の懸命な復旧作業が続けられましたが、家が揺らぐ大風の中で、多くの人が不安な一夜を過ごされたことと思います。
深夜の市庁舎で中越地震を思い出していました。当時、私は消防団部長。避難勧告が出され、その活動で顧みれなかった家族のことを後で聞かされました。
余震の続く中「まずは食」と、気丈に立ち上がったのは女性陣。元旅館の我が家には灯油ストーブが何台もあり、近所十数軒が我が家に集まりお母さん方が煮炊きをしたと。不安の中ゆえの肩寄せ合う心情。母性の強さとやさしさ。
その乏しい灯(ともしび)の中で出た母の昔語り。私は幼いころから何回も聞いた「伊勢湾台風」の話。暴風で家が潰れても助かるようにと、亡祖父が家の土間に瞬く間に俵を組み上げ母たちを隠れさせた。母は自慢げに「とと(父)は強かった」と語る逸話。
しかし、父性の何たるかがそこにあるように今は感じられます。非常時だからこそ気づかされる、便利になりすぎ忘れていた家族の絆や役割。
今回の停電の後日譚(たん)で少し嬉しかったことがありました。あるお宅で小学生の兄弟が「今日は僕らがご飯を作る」と台所に立ったと。子どもたちも本当は不安隠しだったのかもしれませんが、親を思う心と解したい。
いつものテレビもつかない、ランタンや懐中電灯の灯下で食卓を囲んだ家庭も多かったはず。災難には違いない。しかし、一方で家族のカタチを思われたのではないか。その時、お父さんやお母さんは子どもに何を語ったのかな、と考えたりしていました。