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ホーム市長の部屋市長日記「無罣礙(むーけーげー)」令和2年度「むーけーげー(無罣礙)」 令和2年4月1日

「むーけーげー(無罣礙)」 令和2年4月1日

掲載日:令和2年4月1日更新

母校の玄関スロープ

新型コロナウイルスの脅威の中、感染防止策を施して開かれたセミナーに参加しました。
社会福祉法人南魚沼福祉会の主催で、障がい者が移動する際の障壁とその解消法を理解し、住みよい地域づくりに生かそうというもの。
講師は、同級生の佐藤聡(さとし)君でした。
現在、彼は障がい者の国際組織である認定NPO法人DPI(ディーピーアイ)(障がい者インターナショナル)日本会議の事務局長で、内閣府や国土交通省の政策委員なども務め大活躍しています。
つい最近のニュースでも、赤羽国土交通大臣と彼が並んで新幹線の車両改善の実現について伝えていました。

出会いは高校時代。こんな男がいるのかと、驚いたことを覚えています。
階段は束ねた足のフックを手すりにくくり付け、腕だけで上り下り。人の助力を爽やかに断る。
力自慢の私も腕相撲では1度も勝てず。マラソン大会にも出場する、しかも速かった。
登下校は、自宅〔四十日〕から毎日車いすで。とにかく明るい人気者。何より凛(りん)としていました。
彼にまつわる話がひとつ。

冬季、スキー場の私の家に泊まり込んでアルバイトをしていた親友は、学校がある日は決まって、私よりも1本早い電車で石打駅から高校に。
「野球部の朝練かな」と不思議にも思わなかったが、程なく理由を知ることに。
冬だけは自動車で通う彼の車いすが、降雪時には玄関のスロープを上れない。豪雪の年が続いて難儀をしているご両親の姿を見た親友は、早朝に登校してスロープを1人で除雪していたのです。
それを知り、私は自分が恥ずかしくなりました。
その後、聞き知った野球部の有志や仲間たち、生徒会報で紹介すると若い先生たちも加わることに。
親友の一歩がみんなを動かした。この温かい思い出を彼が話してくれた。

現在、市も障がい者や高齢者が住みやすい街づくりを進めていますが、程遠い。
「社会は変わる、いつか当たり前の世の中に」と、がんばる旧友に「市のアドバイザーを頼むよ」と言うと「いいよ」と、あのころと変わらぬ明るさで快諾してくれた。
彼に恥じることない故郷にしなければ。

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