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ホーム市長の部屋市長日記「無罣礙(むーけーげー)」令和2年度「むーけーげー(無罣礙)」 令和2年6月1日

「むーけーげー(無罣礙)」 令和2年6月1日

掲載日:令和2年6月1日更新

ニューヨーク市民を変えたもの

新型コロナウイルスの感染防止対策で、あらゆる行事が中止となり、学校生活最後の夏のスポーツ大会なども例外ではなく、涙を飲んだ子どもたち。本当に切ない。市の中学生海外派遣事業も夏の実施を延期せざるを得なくなっています。

昨秋私は、派遣先に変更できるか判断し、変更になった場合にお世話になる人たちへあいさつやお願いをするために渡米しました。

世界の中心ともいわれるニューヨークは、驚きの連続でした。移民・独立の米国史、超多人種国家。ここを訪れる中学生は、かつての戦争も、世界を震撼とさせた2001年の米国同時多発テロ事件のことも教科書で習う世代。

あの日、映画のシーンのように2機目の旅客機が世界貿易センタービルに突っ込む映像をテレビの生中継で見て、「これから世界はどうなってしまうのか」と身震いしたことを覚えています。しかし、世界がテロに恐怖している中でも、翌年にはFIFAワールドカップが日韓共同で開催されたことに、人の世の逞しさを感じました。来年のオリンピックもこうありたいが、最たるはニューヨーク市民だったのだと、この渡米で知ることに。

ショックに苛まれながらも焼け残った鉄筋の柱に掲げた星条旗と市旗を仰ぎつつ、不眠不休で復興を成し遂げたのだと。2,700人以上が亡くなったその跡地は「グラウンド・ゼロ」と名付けられた鎮魂の場となり、ここを訪れる人びとの足は途絶えない。我が国の原爆ドーム・平和祈念館と同じ空気がそこにありました。

先入観を恥ずかしく思ったほどの街の美しさと治安の良さ。現地の人から聞いた「この街はあのテロから変わった」という言葉。将来を生きる若い彼らが感じることはどれほどでしょう。

ニューヨークを選定したきっかけは「連れてきなさい、ぜひ中学生を」と熱を込めて提案された当市出身の大坪賢次ニューヨーク新潟県人会長との出会いによります。現地でご支援いただく会長をはじめ、知己を得た多くの在米のみなさんは幸いにもご無事とのこと。
終息成って、早くかわいい子どもたちに旅をさせたい。

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