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南魚沼市
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ホーム市長の部屋市長日記「無罣礙(むーけーげー)」令和元年度/平成31年「むーけーげー(無罣礙)」 令和元年11月1日

「むーけーげー(無罣礙)」 令和元年11月1日

掲載日:令和元年11月1日更新

堰場(せきば)地蔵のこと

もし県境の雨が長引き、支流域の雨量が多かったら、破堤の惨状は起こり得たでしょう。
猛威をふるった台風19号。当市も魚野川流域の広範囲に避難勧告を発令。水位が上がり続け、10か所の避難所には、最も多い時で550人が避難をしていました。次はどうするか。「避難指示」が妥当ではないかと頭をよぎる。
「姥島橋下流で決壊か」との情報が入り、対策本部に緊張が走りました。幸いにも、ほどなく県境の豪雨がピークを過ぎ、微量ながら魚野川の水位が低下に転じ、やや安堵したのは明け方でした。

しかし、空が白み、状況が明らかになり驚愕(がく)することに。
姥島橋下流の堤防と管理用道路は流され、越水(えっすい)までまさに首の皮一枚の状態だったこと。石打地区の五十嵐橋上流にある、東京電力石打発電所敷地の堤防が消え失せていることも判明。さらにその上流にある、平成25年の台風18号で大破し、難工事の末にようやく復旧した取水堰(しゅすいぜき)も再び全壊しました。
総力を挙げて一日も早い完全復旧をめざすと同時に「対応はこれでよかったか」「備えは、伝達方法は?」など、多くの課題を検証し、次に生かさなければなりません。

後日、この堤の傍らにある「堰場地蔵」に手を合わせました。いわれでは、800余年の昔、西山の崩落により南魚沼の地は一大湖面と化し、その後、400年は不毛の地であった。
時代は変わり、郡奉行大門与兵衛(だいもんよへい)は切通し工事に奮闘を続けたが、その都度水泡に帰した、と。
そこに旅僧が通りかかり「人柱をたてろ」と進言。みなから請われ、僧自らが土中に入り、その読経の声は7日7夜続きついに途絶えたという。
以来、今日に至るまで破堤はないと伝えられ、永く敬虔(けいけん)に祭られています。堤が危うくなると「地蔵が汗をかく」とも。

近くに生まれた私も、幼少より敬うよう教えられて育ちました。いかに時を経ようと自然と人間の向き合い方は変わらない。
あの夜、大汗をかいただろう地蔵様は変わらぬ柔和なまなざしでしたが、どこか厳しさもたたえて見つめられている、そう思えてなりませんでした。

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