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ホーム市長の部屋市長日記「無罣礙(むーけーげー)」令和7年度「むーけーげー(無罣礙)」令和8年2月

「むーけーげー(無罣礙)」令和8年2月

掲載日:令和8年2月1日更新

ワインレッドの心

「先生、全うされましたね」 御棺を見送りながら思いました。種村芳正さんが年明けの1月3日に97歳で逝かれました。県議5期、県議会議長をはじめ要職を歴任、地元建設会社の創業者であり、越後ワインの取締役会長。菩提寺のご住職が挨拶で感謝を捧げられ、「巨星落つ」と評されるような人生。若い頃に出会わせていただきました。歳の差は40。帰郷後の二十代半ばから、当時、県のスキー観光産業振興協議会長だった種村さんを事務局としてお支えしたのを始まりに、今に至るまで地域愛を持って尽力される姿をずっと見てきました。

私は種村さんの真骨頂、天分と言ってもいいそれは「起業家」だったと思います。最たるは、この雪国でワイン造りに挑戦したこと。遥か半世紀も前、「地方創生」という言葉などない時代。周囲は心配し無謀とも言われながら、おそらくは自身が誰より不安だったであろう中で、欧州視察に向かった勇気にこそ。

朝ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じたディーン・フジオカが、主人公の広岡浅子をそう呼んだことから「ファースト・ペンギン」という言葉が流行りましたが、意味は「リスクを恐れず誰もやったことのない新しい分野や、未開拓の領域に最初に挑戦する人や企業のこと」だそう。天敵が潜むかもしれぬ海原に最初に飛び込んだペンギンによって他のメンバーが安全に続くことができるという習性にちなみ、先駆者を称賛する言葉として。ベンチャーの本旨でしょう。もし種村さんの志がなく、この地にワインがなかったら地域の彩りは違っていたはずで、挑戦する人の流れは育まれていたか。多くの関係者や私も含めて。

最晩年に至るまで、素晴らしい挨拶には畏敬の念を禁じ得ませんでした。締めくくりはいつも「ご清聴ありがとうございました」。最期となった11月の越後ワイン創業50周年記念祝賀会のスピーチもそうでした。会うたびの「頑張ってるのー」の声掛けに何度救われてきたか。もう聞けないが、いつか胸を張って報告できるように。私は弔意よりも賛辞をおくりたい。

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