掲載日:令和8年7月1日更新
地球の彫刻家
大河津分水の大改修が進んでいます。母なる河でもあるが、かつて越後平野に壊滅的な水害を与えてきた信濃川。日本海への分水路として大正11年の完成から100年ぶりの大事業を「どうしても視察したい」と信濃川河川事務所長に願って5月末に実現しました。深く感じ入りました。
視察中、2つのことを思い出していました。1つは、国土の均衡ある発展を掲げた『日本列島改造計画』を引っ提げて首相に上り詰めた田中角栄さん。評伝や伝記を若い頃に多く読みましたが、その中のエピソードです。それは氏が少年の頃、日雇いの仕事に行った建設現場でのこと。現場の長老が田中少年に、「土方はいちばんでかい芸術家だ。あのパナマ運河もスエズ運河もみな土方が造ったんだ。土方は地球の芸術家だ」という言葉が「その後の私の将来を決定づけた」と伝わる話。少年は何を思ったのか。
2つ目は、国民的作家だった司馬遼太郎の『潟のみち』という作品のこと。県央、特に蒲原の農作業の苦しみが描かれていて、胸までつかる湿田に船を浮かべて稲を刈る、水害に悩まされながらも営みを繋ぐ農民たちの格闘の姿が写る古写真を見た作家は激しく心を揺さぶられ、これを著したそうです。越後平野が国内有数の大穀倉地帯となったのは大河津分水の建設によるもので、広大な土地を生み、交通体系の礎など、その恩恵は計り知れず、インフラ整備の真価を思うのです。
分水建設は難工事続きだったそうです。第二河床の基礎部崩落という惨事から見事に再建させ、伝説の技師と言われた青山士(あきら)の遺した言葉が、堰の脇に立つ記念碑に。「人類ノ為メ、國の為メ」。後世、この碑の前に立った棟方志功は大感激し作品を作ったといいます。青山は後に請われてパナマ運河の建設に辣腕を振るったのだと。何かのためになる生き方・・・。建設業や技術職の人材不足が世に言われて久しい。南魚沼の子ども達の多くにこの偉業を見てもらいたい、現場を歩きながら思っていました。彼らは何を思うか。
