コンテンツの本文へ移動する
南魚沼市
ふりがなをつける 読み上げる
文字サイズ
閉じる
小さく 標準 大きく
背景色
ホーム子育て・教育歴史・文化文化財南魚沼市の新潟県指定文化財

南魚沼市の新潟県指定文化財

掲載日:令和6年7月16日

書蹟「鈴木牧之資料」

(写真)鈴木牧之記念館

以下の5点が一括で指定されている。

滝沢馬琴書翰集

種別:書蹟

名称:鈴木牧之資料「滝沢馬琴書翰集(たきざわばきんしょかんしゅう)」

員数:1冊

指定年月日:昭和29年2月10日

所在地:塩沢

所有者・管理者:南魚沼市

【解説】牧之が『北越雪譜』の出版を滝沢馬琴に頼んだ際の手紙のやりとりを日付順に整理して冊子にしたもの。内容は『北越雪譜』編集出版に関する意見、資料照会のほか、江戸の出版界の状況や山東京山との関係、そして牧之の交友等馬琴の率直な見解が述べられている。 

 山東京山書翰集

種別:書蹟

名称:鈴木牧之資料「山東京山書翰集(さんとうきょうでんしょかんしゅう)」

員数:2冊

指定年月日:昭和29年2月10日

所在地:塩沢

所有者・管理者:南魚沼市

【解説】江戸の戯作者山東京山の自筆書簡。山東京山は京伝の弟で、この人によって『北越雪譜』は発刊することができた。『北越雪譜』刊行をめぐる意見のやりとりがよくわかる。 

秋月庵発句集

種別:書蹟

名称:鈴木牧之資料「秋月庵発句集(しゅうげつあんほっくしゅう)」

員数:2冊

指定年月日:昭和29年2月10日

所在地:塩沢

所有者・管理者:南魚沼市

【解説】俳人牧之の発句集で、天保元年の還暦にそれまでの発句俳文記行を整理して冊子に仕立てたもの。上之巻と下之巻がある。

夜職草

種別:書蹟

名称:鈴木牧之資料「夜職草(よなべぐさ)」

員数:2冊

指定年月日:昭和29年2月10日

所在地:塩沢

所有者・管理者:南魚沼市

【解説】牧之の自伝であり、子孫のために書き遺した教訓書である。自らの幼・少年期以来の修学、教養、生い立ち、家庭、家業、家風、衣食住に関する躾、牧之の信条等が詳細に書かれている。

小説広大寺躍(稿)

種別:書蹟

名称:鈴木牧之資料「小説広大寺躍(稿)(しょうせつこうだいじおどり(こう))」

員数:1冊

指定年月日:昭和29年2月10日

所在地:塩沢

所有者・管理者:南魚沼市

【解説】牧之が61歳の時に書いた戯作(小説)。越後国魚沼郡新保村(現十日町市下条)広大寺の住職郭文と、門前の娘お市との浮名事件をもとにした「新保広大寺」という名の民謡の由来を小説化したもの。

彫刻「木造聖観音立像」

(写真)木造聖観音立像

種別:彫刻

名称:木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)

員数:1体

指定年月日:昭和30年6月28日

所在地:君帰

所有者・管理者:観音寺

【解説】像高150.9センチメートル、カツラ材の一本造りで、背面には方形の内刳りが施される。背板の裏側に承久2年(1220)の墨書があり、そのころに造られたことが分かる。体部の奥行きが薄く、髻も非常に細長く、顔立ちも面長で痩身なことが特徴である。

史跡「樺沢城跡」

(写真)樺沢城本丸跡

種別:史跡

名称:樺沢城跡(かばのさわじょうあと)

指定年月日:昭和43年11月29日

所在地:樺野沢・大沢

管理者:樺沢城跡保存会

【解説】栃窪峠、大沢峠を背後に控え、正面には三国街道、清水街道の分岐点を抑える交通の要衝に立地する。

山頂の主郭は、本丸またはゴテンと呼ばれ、戦前まで建物の礎石であった大きな石が残されていた。主郭の腰には、幅5、6メートルの帯郭が巡る。本丸より東南の方向に、二の丸、三の丸が大小の郭によって構築され、その間を2、3メートルの空堀が設けられている。一番外側に位置する空堀には、土塁が築かれ、一部突き出た形をした望楼が2か所配置されている。山頂主郭の背後の尾根には、2か所の深い竪堀と9条の連続した竪堀が施され、後方を遮断している。山城全体を3重、4重に空堀と土塁が鉢巻状にめぐる。二の丸付近には、胞衣塚という石祠があり、宝暦2年の書上げに上杉景勝の胞衣を納めたと伝えている。

城跡に隣接し、御屋敷、元屋敷、中屋敷、下屋敷が並び、少し下って古町、中屋敷、町屋敷、桜町、前屋敷の地名が残る。御屋敷に隣接して、仙桃院の「お花畑」と称する場所もある。家臣団の黒金、綿貫、小泉、宮嶋の名前も地名にあり、さらに鷹匠屋敷、本倉屋敷の跡も伝えている。

天然記念物「岩崎の大カツラ」

(写真)岩崎の大カツラ

種別:天然記念物

名称:岩崎の大カツラ(いわさきのおおかつら)

員数:1本

指定年月日:昭和44年3月25日

所在地:岩崎

所有者・管理者:萬松寺

【解説】萬松寺は寛永10年に開基され、そのころからすでにこのカツラの木はあったと伝えられる。樹高約30メートル、胸高周囲約10メートルで、地上2.5メートル付近で幹が8本に分岐している。

天然記念物「八海神社城内口参道スギ並木」

(写真)八海神社城内口参道杉並木

種別:天然記念物

名称:八海神社城内口参道スギ並木(はっかいじんじゃじょうないぐちさんどうすぎなみき)

指定年月日:昭和45年8月28日

所在地:山口

所有者・管理者:営林署・南魚沼市

【解説】八海神社の参道約440メートルの両側に立ち並ぶ200本以上の杉並木。数百年前郷民が寄進植樹を行い、さらに寛政6年木喰普寛行者が八海山登山道屏風路を開いた際、これを記念して氏子総出で植林整備を行ったと伝えられている。また文献によれば天保7年、郡内の大干ばつの際旧城内24集落が藩主に陳情して水源涵養林造成のために植林を行ったともある。

史跡「飯綱山古墳群」

(写真)飯綱山古墳群

種別:史跡

名称:飯綱山古墳群(いいづなやまこふんぐん)

指定年月日:昭和47年6月1日

所在地:余川

【解説】新潟県を代表する群集墳のひとつで、かつては100基を超える数の古墳があった。10号墳(大塚・女塚)と並び最大規模の27号墳からは大量の土器や1000点を超える数の臼玉、銅釧などが出土した。その土器の年代から古墳が造られた年代は5世紀中ころと考えられる。

史跡「蟻子山古墳群」

種別:史跡

名称:蟻子山古墳群(ありごやまこふんぐん)

指定年月日:昭和47月6月1日

所在地:余川

【解説】魚野川左岸の独立丘陵上に立地する群集墳で、かつては90基を超える数の古墳があった。調査された古墳からは鏡や玉類、直刀などの武器や当時貴重であった須恵器なども出土している。

天然記念物「長恩寺のオハツキイチョウ」

(写真)長恩寺のオハツキイチョウ

種別:天然記念物

名称:長恩寺のオハツキイチョウ(ちょうおんじのおはつきいちょう)

員数:1本

指定年月日:昭和48年3月29日

所在地:塩沢

所有者・管理者:長恩寺

【解説】鈴木牧之の菩提寺である信受山長恩寺の西側の石垣に隣接する、樹齢400年といわれる独立巨樹。オハツキイチョウはイチョウの変種で、葉の上に実を結ぶ、または葉上に葯を付けるイチョウのことをいう。

天然記念物「薬照寺の大カツラ」

(写真)薬照寺の大カツラ

種別:天然記念物

名称:薬照寺の大カツラ(やくしょうじのおおかつら)

員数:1本

指定年月日:昭和48年3月29日

所在地:君沢

所有者・管理者:薬照寺

【解説】寛徳2年(1045)創立と伝えられる真言宗の古刹である瑠璃光山薬照寺にある県内最大級のカツラの木。樹齢は推定250年といわれる。

安永9年に本堂が火災で消失した際、カツラの木も焼け伐採された。その一部が、同寺再建用材として本堂廊下の縁板に利用された。その後、根から6本の大枝がでて繁茂したのが現在の木である。

無形民俗「大前神社の式三番」

(写真)大前神社翁式三番

種別:無形民俗

名称:大前神社の式三番(おおさきじんじゃのしきさんば)

指定年月日:昭和56年3月27日

所在地:大崎

所有者・管理者:大崎郷土芸能振興会

【解説】大前神社の祭日に演じられて伝承されてきたもの。平安時代の三番猿樂の古い形を随所に残す。式三番は千歳、翁、三番叟という舞いが次々に出て、天下泰平、国土安泰、長寿延命、五穀豊穣を祈る。

建造物「雲洞庵本堂」

(写真)雲洞庵本堂

種別:建造物

名称:雲洞庵本堂(うんとうあんほんどう)

員数:1棟

指定年月日:昭和61年3月28日

所在地:雲洞

所有者・管理者:雲洞庵

【解説】金城山雲洞庵は、養老元年(717)に藤原氏ゆかりの尼寺として開かれたと言われている。その後衰退したが、応永27年(1420)に関東管領上杉顕定が曹洞禅の寺院として再興した。一部銅板葺きの入母屋造りの本堂は、宝永4年(1707)から正徳3年(1713)に建立したといわれている。

彫刻「木造正観世音菩薩坐像」

(写真)木造正観世音菩薩坐像

種別:彫刻

名称:木造正観世音菩薩坐像(もくぞうかんぜおんぼさつざぞう)

員数:1体

指定年月日:昭和50年3月29日

所在地:思川

所有者・管理者:天昌寺

【解説】曹洞宗飯盛山天昌寺の観音堂の本尊。カツラ材の一木造りで、全体におだやかな彫り方である。やや面長の顔立ちや目鼻立ち・肉付けなどは鎌倉時代前期の作と推定される。

彫刻「木造持国天・多聞天立像」

(写真)木造持国天・多聞天立像[

種別:彫刻

名称:木造持国天立像(もくぞうじこくてんりゅうぞう)・木造多聞天立像(もくぞうたもんてんりゅうぞう)

員数:2体

指定年月日:昭和50年3月30日

所在地:思川

所有者・管理者:天昌寺

【解説】天昌寺の観音堂本尊観世音菩薩座像の脇待として安置している。素材は共にカツラ材製の一木造りで鎌倉時代前期の作と考えられている。形は、一般的な武装の分怒形で、鎧の彫りは縁飾りなど細かく入念に作られている。

関連資料

新潟県指定文化財マップ (PDF 1.46MB)

カテゴリー