掲載日:平成29年1月4日更新
坂戸城跡保存整備計画について
国指定史跡「坂戸城跡」は、南魚沼市のほぼ中央部、坂戸山に所在している中世から近世にかけての城館跡です。
坂戸城の築城は、中世 南北朝の動乱のころに始まったとされますが、はっきりとしたことはわかっていません。
中世末期頃、上杉景勝が春日山城主になると、上田荘出身の「上田衆」が景勝の直臣団を構成し、坂戸城は、春日山城の有力な支城として領国経営の要所となりました。景勝は、とりわけ天正6年(1578年)の御館の乱に際し、春日山城から坂戸城の普請強化を命じています。現在、山上にみられる遺構の多くはこの時のものと考えられるものが多くあります。
慶長3年(1598年)、景勝が会津に移封となると、かわって越前から堀秀治が入部し、坂戸城には、秀治の家臣堀直竒が入りました。この時に、直竒により山麓の遺構群や御居間屋敷などが整備されたと考えられています。しかし、慶長15年(1610年)、直竒が信濃国飯山に移されると、坂戸城は廃絶されました。
以上のように、坂戸城跡は南魚沼の中世から近世を語る上で欠かせない遺跡です。しかし、社会情勢の変化による開発や災害などにより、坂戸城跡の文化財としての価値が失われる可能性が出てきました。
このような状況から坂戸城跡の存在と価値を多くの人々に広め、後世に伝えていくため、平成5年(1993年)、六日町(現南魚沼市)は「坂戸城跡環境整備基本計画」を策定し、順次、整備を進めてきました。合併後も、単に史跡の保護という視点だけではなく、まちの活性化や地元の郷土愛を育む教材、観光振興などへの活用をめざして、継続的に整備を進めています。
居館跡
実城
坂戸城跡保存整備事業の経過
- 昭和29年(1954年)2月10日 新潟県史跡に指定
- 昭和54年(1979年)3月12日 国の史跡として指定、『坂戸城跡保存管理計画書』を策定
- 平成5年(1993年) 「坂戸城跡環境整備基本計画」を策定
- 平成7~10年(1995~1998年) 薬師尾根登山道を整備
- 平成11~14年(1999~2002年) 城坂登山道を整備
- 平成14~17年(2002~2005年) 内堀跡の復元整備
- 平成19年(2007年)~ 居館跡(石垣復元)整備
薬師尾根登山道
城坂登山道
内堀跡(埋田掘)
居館跡整備事業
史跡「坂戸城跡」は、坂戸山とその西麓を中心に史跡指定され、指定範囲内各所に点在する曲輪や空堀、土塁、石垣などの遺構で構成されています。
このような遺構の中で、坂戸山西麓の緩やかに傾斜する2本の沢に挟まれた扇状地には、居館跡とされる遺構があります。この居館跡はほぼ方一町(約109メートル四方)で、周囲を土塁で囲まれています。西側正面の土塁には石垣が全長約91メートルに渡って築かれています。
平成19年から石垣修復工事を主とした居館跡の調査・整備を行っています。
測量調査
居館跡の整備に先立ち、整備に必要な図面を作成するために測量調査を実施しました。居館跡を上から見た平面図、石垣を真上から見た平面図、真横から見た立面図、石垣の勾配などを把握するための断面図を作成しています。
居館跡測量平面図
居館跡石垣測量立面図
発掘調査
石垣の修復に必要な情報を得るためと、居館跡の性格を把握するために発掘調査を行いました。
平成24年度南石垣確認調査
平成25年度居館跡確認調査
石垣解体修復工事
居館跡正面の石垣は、虎口(出入り口)を挟んで南北それぞれに築かれています。しかし、南側の石垣は幕末に魚野川の護岸工事を行った際、石材として取り外され転用されたと伝えられており、大部分が壊れている状態です。
このような状況は今後、石垣のさらなる崩落や破損などの恐れがあることから、後世まで遺跡を保存していくために解体修復を行うこととなりました。