一粒の種が日本の米づくりを変えた。

今では日本を代表する品種として知られるコシヒカリですが、その誕生までの道のりは決して平坦ではありませんでした。
戦時下に交配され、終戦や震災を乗り越え、幾度も「採用すべきではない」と評価されながらも、多くの研究者や農業者の努力によって受け継がれた一粒の種。
その歴史の中で、南魚沼は現地試験地として、そして栽培技術を磨きブランドを育てる地域として重要な役割を担いました。
コシヒカリは、一人の力ではなく、多くの人々がつないできた挑戦の結晶なのです。

戦時下に始まった品種開発

昭和19(1944)年、新潟県農事試験場(現在の新潟県農業総合研究所)で、新しい水稲品種の育成が始まりました。
目指したのは、食味に優れ、病気にも強い理想の品種です。
交配には、新潟県で育成された良食味・多収の「農林1号」と、兵庫県で育成され、いもち病への強さを持つ「農林22号」が選ばれました。
しかし翌年、日本は終戦を迎えます。研究者の多くが出征していたこともあり育種試験は中断され、交配で得られた種子は保存されることになりました。
幸いにも種子は戦火を免れ、昭和21年に育成が再開されます。この保存された種子が、後のコシヒカリへとつながっていきました。

幾度もの危機を乗り越えた品種

昭和23(1948)年、選抜された系統の一部は福井県農事試験場へ引き継がれました。
その直後、福井地震が発生し、多くの試験ほ場が液状化などの被害を受けましたが、引き継がれた系統は幸いにも大きな被害を受けず、試験が継続されました。
その中から育成された一つが「越南17号」。
食味や品質は非常に優れていましたが、稲の丈が長く倒れやすいこと、いもち病に弱いことが課題でした。
育成を担当した石墨慶一郎氏は、処分することも考えましたが、「この品種には可能性がある」と判断し、全国の試験場へ試作を依頼します。
この決断が、日本の米づくりを大きく変える第一歩となりました。

新潟県の決断が未来を切り開く

昭和28年から全国22県で試作が行われた越南17号は、多くの地域で「倒れやすい」「栽培が難しい」という評価を受けました。
新潟県でも欠点は確認されましたが、それ以上に食味と品質の高さが注目されました。
当時、新潟県農業試験場長だった杉谷文之氏は、「栽培法でカバーできる欠陥は致命的欠陥にあらず」という考えのもと、栽培技術によって欠点は克服できると判断します。
また、試験を担当した國武正彦氏も、品質重視の米づくりこそ新潟の未来につながると考えました。
こうして越南17号は昭和31(1956)年、新潟県の奨励品種となり、「越の国に光り輝く品種」との願いを込めてコシヒカリと命名されました。

南魚沼がブランドを育てた

コシヒカリの奨励品種選定にあたり、新潟県内20か所以上で現地試験が行われました。
そのうち南魚沼では、旧大巻村、旧東村、旧中之島村、旧大崎村の4地区が試験地となり、旧大崎村では県内唯一の耐冷水試験も実施されました。
南魚沼地域の試験成績は高く評価され、奨励品種選定の重要な判断材料となりました。
豪雪地帯ならではの豊富な雪解け水、昼夜の寒暖差、窒素供給量が比較的少ない土壌は、コシヒカリの持つ特性を引き出す条件として適していました。

しかし、コシヒカリが奨励品種となってから全国へ広がるまでには、さらに時間が必要でした。
倒れやすく栽培が難しいという理由から、多くの産地では作付けが伸び悩む中、南魚沼では生産者が栽培を続け、地域に適した技術を積み重ねていきます。
さらに、生産者は肥料の量や施肥時期、水管理などを工夫し、倒伏を抑えながら品質を高める栽培技術を磨き続けました。

当時は関東圏から近い南魚沼は出稼ぎが多く、また、観光地としても人々の交流が盛んでした。
民宿や旅館で提供されたコシヒカリのおいしさが口コミで広まり、魚沼産コシヒカリの評価向上にもつながりました。
平成10(1998)年には、こうした歴史を後世へ伝えるため、南魚沼市宇津野新田に「魚沼コシヒカリ発祥の地」の石碑が建立されています。

日本一のブランドへ

昭和44(1969)年に自主流通米制度が始まると、消費者は品種や産地を選んで米を購入する時代へと変わりました。
品質と食味に優れるコシヒカリは高い評価を受け、新潟県では研究機関や普及指導員、生産者が連携して栽培技術を改良し続けました。
倒伏を防ぐ施肥技術や、水管理、葉色を見ながら肥培管理を行う「カラースケール」の導入など、科学的な栽培技術が普及したことで、安定した品質と収量を両立できるようになります。
こうした努力の積み重ねにより、昭和54(1979)には作付面積No.1となるほど全国に広がり、新潟産コシヒカリ、そして魚沼産コシヒカリは、日本を代表するブランド米として全国に知られる存在となりました。

受け継がれる挑戦

コシヒカリの歴史は、誕生して終わりではありません。
いもち病への抵抗性を高めながら食味を維持したコシヒカリBLの導入により、病害への対応や環境負荷の軽減が進められました。
また、近年は気候変動による高温への対応として、コシヒカリNU1号など、新たな技術や品種の研究・導入も進められています。
こうした取り組みは、コシヒカリが持つ価値を未来へ受け継ぐための新たな挑戦です。

南魚沼から、これからも。

コシヒカリは、戦時下に生まれた一粒の種から始まりました。
その価値を見抜いた研究者、栽培技術を磨き続けた生産者、そして地域ぐるみで品質を守り育ててきた人々の努力によって、日本を代表する品種へと成長しました。
南魚沼は、その歩みの中で現地試験を支え、栽培を続け、ブランドを育ててきた地域です。
この歴史は過去の物語ではありません。
次の世代へ、おいしいお米と米文化を受け継ぐ挑戦は、今も南魚沼で続いています。